2019.04.21
春闘はなぜ相場形成役を必要としてきたのか


 春闘と呼ばれる日本の賃上げ闘争は昭和30年(1955年)をそのはじめとする。前年の昭和29年には五つの産業別組合(炭鉱の労働組合、私鉄、化学関係の合化労連、電力、紙パルプの組合)が集まって「5単産共闘会議」が作られた。翌昭和30年、これに全国金属(現在のJCMの一翼の組合)、化学同盟、電機労連(現電機連合)の三つの単産が参加して、合計8単産が同時期に要求、交渉、回答を求める現在の春闘が始まる。

 おりしも日本経済は、朝鮮戦争による国連軍の軍事備品の調達先となり(朝鮮特需という)、戦後の混乱期から空前の好景気を迎えた。朝鮮特需で戦後経済の混乱を乗り切り経済基盤を確立した日本は、その後、有名な高度成長期に突入することになる。

 経済が好景気に沸き、ほとんどの労働者が戦後の生活混乱期を乗り越えたいと生活改善に意欲と期待を持った中での春闘の始まりであった。
 今日の春闘でも話題になるのが「相場形成役」である。同時期に交渉が行われるので、各組合は回答のめどをどこに置くのかが重要になる。その際に、水準の目安になるのが「相場形成役」の回答なのである。

 春闘が始まった当初の「相場形成役」は公務員の賃上げ水準であった。公務員はご存じの通りスト権は有しなかったが、民間の春闘と同時期に交渉を行っていた。

 公務員の交渉は、交渉相手が回答を決める権限を持っていない。回答には予算が必要であり、議会の承認が必要だからだ。そのため、労使の交渉が行き詰ると何らかの権限を有する者の決裁が必要になる。

 日本には労使の紛争を解決する機関として、二つの組織が定められていた。公務員には「公共企業対等労働委員会」(略称「公労委」)の組織がそれにあたり(現在はその機能を民間の労働委員会に統合されている)、民間では「地方には地方労働委員会」(略称「地労委」)、さらに上級審としては「中央労働委員会」(略称「中労委」)がある。

 公務員の賃金交渉が行き詰ると、組合は「公労委」に斡旋案を求める。斡旋の段階では一方からの訴えではなく相手方の同意も必要なので簡単に成り立たないが、そうすると組合は「調停」、さらには「仲裁」を求めるようになる。「斡旋」「調停」は相手方の同意がなければ解決には結びつかない。しかし「公労委」が「仲裁案」を示した場合は労使とも受諾しなければならない(こうした制度は公務員にスト権が与えられていなかったための救済制度であった)。

 さて、賃金交渉において暗礁に乗り上げ「公労委」に委ねられると、斡旋案、調停案、仲裁案が示され、労使が受諾して初めて交渉が解決することになる。

 民間で交渉している組合にとって「公」の機関が示した水準が一つの目安として経営側に回答を求めることになる。ここに「公労委」が判断した水準が「相場」となる仕組みができる。

 春闘初期の相場形成役は、こうして「公務員」がその役割を担った。

 しかし、冷静に考えれば、公務員の水準には財源として税金がつきまとう。国民が支払っている税金を使う賃上げ額が、全体の回答に影響を与えることは好ましくないという意見が、労使はもとより国民にも広がっていく。

 そこで「相場形成役」が民間の産業に交代することになる。民間で労使交渉の行方に大きな影響力を持つのは鉄道である。鉄道のストは国民生活に甚大な影響力を持つので話題性では他をしのぐが、賃上げが運賃に大きく影響してしまう。賃上げをしても運賃の値上げに結びついたのでは経済の仕組みとしておかしいということから、さらに新しい「相場形成役」を見出さなければならないことになった。

 経済システムからいえば、国の経済にとって基幹産業が最も重要になる。基幹産業の代表といえば「鉄鋼」である。また組合運動の側面からは、鉄鋼労連は昭和32年(1957年)に19日間、昭和34年(1959年)に49日間スト(ゼロ回答)を行なってきたが、その反省から、交渉とは「経営側をギリギリまで追いつめ、なしうる最大限の回答を引き出す」(五月雨式にストを決行して積み上げを図るよりは、交渉力を高めて経営側の最終回答を引き出すとの考え)ものと考え、これが「鉄鋼の一発回答」を形作ることになる。

 一方、国の基幹産業としては鉄鋼産業のほかに、造船産業、自動車産業、電機産業、金属産業、非鉄金属産業、電線産業などが集まって1964年に組織している「金属産業労働組合協議会」(略称「金属労協・JC」)があった。

 JCグループは春闘の質をさらに高めるために、鉄鋼、造船、自動車、電機の四単産が同時決着を図るスクラムトライ方式の戦術を採用、「相場形成役」の役割を担っていった。

 また、金属産業の中でも産業による隆盛に濃淡が出始め、やがて、発展が著しい自動車、電機の影響力が高まっていくことになるが、JC(現JCM)が相場形成役であることは基本的には変わっていない。

 近年は、企業における賃金格差に関心が集まり始めているので、大手企業だけに相場形成役を任せておいていいのかという疑問もあり、中小企業の比重が高まりつつある。
このように長い歴史をもつ春闘の相場形成役の変遷を見てきたが、はっきりしていることは、当該の労働組合の存在というよりは、国の経済の基幹産業であるが故の「相場形成役」であることがお分かりいただけたと思う。

 そしてこの相場形成役の存在が、ややもすると個別組合の自主的な判断力を衰えさせ、他の組合との比較ばかりに目が行ってしまう弊害を生んでしまう欠点をもつことになる。そのために春闘発足以来長い間続いてきたこの「相場形成」を脱却して、各組合が自主的に賃金引き上げを図る方向を目指すべきとの意見が、ここ10数年来多く出されるようになった。しかし、自主的に決めるということは、そのためには自社の賃金体系の理解、配分への理解が欠かせないことから、長年の慣習から一挙に抜け出すことは難しく、また連合自身も従来の方針に固執して要求水準を統一するために、結局従来慣行が優先されることになってしまっている。

 いずれにしても春闘は、高度成長をバックにした経済動向と企業業績の動向、労働市場の動向、物価動向など、経済動向に適合した組合運動として成り立ってきた。
春闘の基本的パターンは、「賃上げ?可処分所得の向上?国内の消費拡大?企業の売り上げ増と利益拡大(経済成長)?賃上げ」の好循環で成立する運動で、ゆえに、高度成長に組合の大幅賃上げが大きな役割を果たしたことは疑いようは無い。

 しかし、経済と密接につながっているゆえに、バブルが崩壊した時や、リーマン・ショックのように経済が悪化したときには成果を上げることはできなかった。このように春闘は、過去も、現在も、そしておそらく将来も、経済と切っても切り離せない関連性を持っていることを忘れてはならない。
 

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