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2019.10.21
年休取得に『取らない自由』はない

 日本人が年次有給休暇(以下年休)を取得しないのははるか昔からである。そんな中で政府ですら年休の取得を求めるようになった。

2019年4月に施行された改正労働基準法は、年間10日以上の年次有給休暇が付与される労働者に対して、年間5日は使用者が時季を指定して取得させることが義務付けられた。取得を義務付けされた日数はわずか五日間に過ぎないことから、むしろ「五日間」さえ取得させれば企業の責任は問われない。だから、それ以上の取得が難しくなるとの批判が噴出した。

 日本人の勤勉の尺度は、残念ながら今までは「時間の量」である。一生懸命に働いた、精いっぱい努力したという証は、働いた時間の量で判断されてきた。その考え方が「長時間労働」を生み、過労死などの新たな弊害を生みだしたといっても過言ではない。

 ここに世界の休日日数と付与される年休日数、取得されている年休の比較がある。

 年間の休日(祝日、土曜・日曜は除く)が最も多いのは日本で17日間もある。2位が香港で13日間、3位はシンガポールの11日間、アメリカは10日間、フランスは9日間である。

 年間の祝日日数では日本の17日間は群を抜いている。

 次は年休の付与日数である。1位はフランスの30日、スペイン、ブラジルも30日で、イタリアが28日。オーストリアは25日で、インド、日本が20日で続いている。アメリカは19日である。

 問題は付与日数ではなく消化日数であるが、年休の消化日数で日本は、イタリア(21日間)、インド(15日間)、香港(14日間)、シンガポール(14日間)、アメリカ(14日間)、メキシコ(12日間)の後塵を拝して下位の11位(10日間)と極めて低い。取得率でみても、フランス、ブラジル、スペインはいずれも30日間で100%の消化率である。日本は50%、日本より低いのは韓国の47.9%が目につく。

 よく言われる「保養のための休暇」を意味するフランス語にバカンスという言葉があるとおり、フランスの年休消化率(100%)は高く、年間休日が9日と少なくても、年休の30日間を加えれば、年間39日間をバカンス中心の長期休日に費やしている。

 日本の年休消化率が低いのは昔から指摘され、労働組合の悩みの種にもなっている。なぜ日本の年休消化率は低いのか。

 前述したように、日本人は勤勉の尺度を労働時間の長さで測るために、労働に費やす時間が長ければ、「あの人は勤勉だ」と評価されやすい。また他人の評価と同時に、本人も、長い時間働けば「自分は一生懸命働いている」と満足し、「自分は勤勉だ」と自覚する傾向にある。だから会社から早く帰ることに心理的な抵抗を持っているらしい。

 もちろん、人間がこの世に生れて人生を過ごすときに、生活をするために労働は欠かせない営みだ。

 「労働」することで、収入を得て生活に資する。まさしく労働の経済的意義である。しかし、「労働」には経済的意義のほかにも欠かせないものがもう一つある。「労働」を通じて自らの生き甲斐や働き甲斐を求めることだ。「生き甲斐」や「働き甲斐」は、労働時間の長短で決めることはできない極めて精神的なものなのである。

 この後者の精神的充足感が曲者で、自分は一生懸命に働いているという満足感を得るために、「年休を取得しないこと」、「長時間労働を厭わないこと」などの副作用を生みだしている。

 こうして単純に断定することはできないものの、「労働時間の長さを美徳」とする考え方を克服していかなければ年休の取得は進まないと言える。

 実際に政府が進めている「働き方改革」でも、残業時間の削減、生産性の向上などが叫ばれており、会社は試行錯誤しているといってもよい。

 時代はさかのぼるが、高度成長期でも、年休の消化は労働組合の懸案事項であった。

 年休の取得は労働者の権利であると主張した覚えがあるが、何とか企業内で年休の消化率を上げるためには「労働者の権利」を強調すればするほど、職場では職制への遠慮や恐れなど取得しにくい雰囲気が生まれてしまう危惧があった。

 有給休暇の取得に罪悪感を持つ人は米国では3割超、フランスでは2割超と少数派だが、日本では6割近くと過半数を超えている。日本では自分の仕事が終わっていても、同僚が終わっていなければ自分だけ休むのは反感を買ってしまわないかと、気にしてしまう傾向もあるという。

 日本人は、なぜこんなにも休みたがらないのだろうか。最大の理由には人手不足が挙げられている。これは休みたくても休めない環境にあるといってもよい。つぎに、急な用事や病気などの緊急時のためにも取っておくという。

 だから、年休の取得促進には、管理者層の理解と組合員自身の意識改革が欠かせないのだ。そもそも年休の取得に管理者は理解することができるのか。この難題の解決が欠かせない。

 それぞれの企業における労使関係の在り方がかかわってくるもので、労使関係の信頼があれば解決方法を見いだせるに違いない。「年休を取らせまい」と考える管理者がいると、部下は取りにくい雰囲気にとり込まれてしまう。しかし時代は変化している。このような管理者がいる企業は、今後はブラック企業の汚名を着せられ立ち行かなくなるに違いない。

 次に組合員の意識改革である。
 
 年休を取得しない組合員にその理由を尋ねると、年休の取得に罪悪感があるかどうかの質問には、58%が「ある」と回答しているという。日本は、有給休暇の取得に対して最も罪悪感を持っている国のようだ。また、「みんなが休まないから自分も休めない」という意見もあるが、これも日本独特の状況といえそうだ。

 加えてよくあるのが、「休んでもすることがない」とか、「取る自由があると同時に、取らない自由もあるはずだ」などの意見も多い。しかも、いずれの意見も私の現役時代にもあったし、そして現在でも共通して散見される意見である。昔も今も、全く変わることなく続いてきた意識なのだ。

 一つひとつの意見について述べる紙数はないので、本号では「年休に取らない自由は存在するのか」について考えてみたい。

 一見すると、この「取らない自由」も最もな理屈のように聞こえるが、実はこと年休の取得に関しては「取らない自由」は認められないのだ。なぜなのか。

 年休は会社の職場の中で取るのか取らないのかを考えなければならない。職場には管理職と部下のような上下関係が存在する。誰もが管理職に嫌われたくないという意識がある。そんな中で、年休に「取らない自由」があるからといって、取らない人がいれば、当然のように上長に「嫌われたくない」「悪い印象を持たれたくない」という意識が生まれて当然である。仲間内に「取らない人」がいれば、それと比較されるから「取る自由」が制限されてしまう。つまり、職場において取らない人がいる限り取りたい人の行動を制限することになってしまうのである。「取らない自由」が「取りたい自由」を束縛するのだ。

 また、競争関係にある企業間でも同じことが起きてしまう。年休を取らない企業と、取る企業の競争を考えた場合、取らない企業のほうが競争上、有利になってしまう。取らない企業のために、取る企業が不利に陥ってしまう。こうして年休は「取らない」方へ、「取らない」方へと流されていってしまうのである。

 こうした関係から、年休の取得には、「取らない自由」は「取る自由」を束縛する仕組みがあることになり、労働組合として、年休の取得には「取らない自由は認められない」ことを徹底して取り組んでいくことが重要になる。

 年休の取得もままならい職場からは「働き甲斐」は生まれない。「働き甲斐」のない職場、会社には、どんなに働きやすそうに見えても、仕事に前向きに取り組む人材が集まってこないのではないか。

 働くべきときは働き、休むべき時は休む。そんなメリハリのある働き方ができた時に、はじめて「働き甲斐」や「生き甲斐」を感じる素晴らしい職場になるに違いない。

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