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2020.04.21
戸籍謄本も賃金体系もいまだに家制度を引きずっている

 コロナ禍騒動で自宅待機や在宅勤務が行われている今、労働組合のリーダーとして今年の賃金闘争を振り返りつつ、スローガンで掲げている「生活の改善」とは、その「生活」とは誰の「生活」を指すのかをじっくり考えてみることが必要に思う。
「生活」とは言うまでもなく、組合員の家庭生活を指しているが、その根拠は組合員を世帯主として、一家四人の生計費を指している。

 世帯主の賃金で、配偶者と子供二人を養うことを目指してきた。一家四人の生計費である。それゆえ、賃上げ闘争の重要な要素としての生計費とは、この世帯賃金を指しているのである。
その根底には、時代が変わってきた現在の個人主義とか、多様化とは相いれない考え方がある。近代的組織と言われる労働組合でさえ、一人ひとりの賃金水準より世帯賃金を中心に考えてきたのである。この世帯賃金という考え方は、生活の最小単位が「家」であることとセットで成り立ってきた。世帯の中で働きに出るのは世帯主で、世帯主の収入で家計全般を賄う。だから「世帯主義賃金」とも呼ばれ、共働きや男女間の賃金格差にも鈍感でもあったのだ。
社会の生活最小単位が「家」から「個人」になっても、賃金の性格は相も変わらず「世帯」と「家」を基にしてきた。一人一人の独立した「個人」の生活の集合体が社会を形成しているのに、賃金は「家」を単位に考えるという矛盾を持っているのである。

 「家」を単位に考えれば、扶養家族という概念も賃金の要素に加味されるであろうし、住宅手当やその他の「加給」も欠かせなくなる。
 
 しかしその一方で、賃金は仕事に対する対価という考えとは相いれなくなる。
この「世帯賃金」は、人の一生を標準化し、それぞれの時期の必要経費を賄う賃金収入を考える。単身生活→結婚→出産→育児→教育、それぞれの時期に必要は経費に対応する賃金収入を考えるのだ。そうすると賃金カーブはものの見事に「年功序列型」を描く。つまり日本の賃金体系は「家」という概念から生まれたものだとわかる。
ここで少し日本の「家」制度について考えてみよう。

【封建制度時代そのままの長男優遇システムは、現代社会にそのまま当てはめると、非常に前近代的で、不合理な習慣といえるかもしれない。生活最小単位が「家」であった時代なら、これでもよかった。ところが、今は、まぎれもなく「個人」が生活最小単位である。こういう時代に、いつまでも「家」が生活最小単位であった時代のシステムが残っていては、社会の流れを妨げるだけだ。誰でも、自分の戸籍謄本を見た経験があるはずだ。戸籍抄本には、その本人と配偶者が記入してあるだけだが、謄本には家族全員の名が記されている。最初に家長の名があり、配偶者の名があり、子供たち一人一人にその配偶者まで記され、さらに子供たちの子供、つまり家長の孫にあたる人間まで同じ謄本に加えられている。これはとりもなおさず、日本という国家が、「家」という生活単位をいまだに重要視している証拠に他ならない。
欧米はこれと違う。戸籍謄本には、夫婦と子供だけが書かれている。その子供も、結婚してしまえば削除される。いつまでも同じ謄本の中で、肩を寄せ合っている日本人に比べ、実に身軽である】(「逆・日本史」樋口清之)。

 この「家」制度をさらに確固したものにすべく、自民党の憲法改正案でも「家」制度に触れている。
現行は、【憲法 第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)一 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。二 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。】であるが、
自民党の改憲案では、【一 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。二 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。三 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない】となる。

憲法学者の木村草太氏はこう述べている。【家族を大切にするかどうかは、最終的には個人が自ら考える道徳の領域の話であって、憲法に書くべきことではありません。ときどき、「家族を大事にするのは当たり前のことなのだから、憲法に書いたって、特に悪いことは起きないだろう」という人もいます。しかし、こういった文言を憲法にうかつに入れてしまうと、せっかく憲法が定めた権利保障を解除するために使われることになります。例えば、自分ではどうにも生活できなくなった人が生活保護を申請しようとしたときに、「憲法に書いてあるので、家族の扶養でどうにかしてください」「憲法に書いてあるので、家族で助け合えない人は援助しません」といった対応を許す解釈を導く可能性があります。】

 さて、賃金制度の話にもどそう。東大の入学式のあいさつで話題になった上野千鶴子氏は、【日本型雇用は基本的に「男性稼ぎ主モデル」です。夫である男性が一家の大黒柱で、妻である女性が家事と育児を一手に引き受けることを前提にして成り立っていて、それをずっと維持しています。これが今日に至るまで変わっていません。】と、日本型雇用が男女差別の根底にあると断言する。

 上野千鶴子氏の話題になった挨拶とは、東京医科大学が女子受験者を差別していた入試不正問題に触れ、【「あなたたちはがんばれば報われると思ってここまで来たはずです。ですが、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」と述べた。
「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」】と言い、社会に根付く構造的差別に目を向けるよう求めた。

 さらに、東大入学者の女性比率が「2割の壁」を超えないことを挙げ、「社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです」と指摘】というものであった。

 どうも日本の雇用形態も、賃金制度も、日本古来の家制度を引きずってきているもので、とくに男性稼ぎのモデル、一家4人の生計をまかなう「世帯賃金」そのものが男女差別の代表例と言えるのである。

 そうすると、賃金の男女差別を考えるときには、男女それぞれを一人の人間として扱う賃金制度にしなければならない。世帯主が家族全員を養うのではなく、夫婦二人、すなわち同一賃金による男女二人の賃金の合計で子供を養う考えに転換しなければならない。ところが賃金に限らず、健康保険にも扶養家族制度があり、年金も同様というように、賃金に限らず他の制度の改革も同時に行わなければならない難しさがある。そして共働き社会を前提にすれば、保育園や学童保育に対する社会的制度や設備が圧倒的に不足している現状がある。

 しかし、何事もそうだが、難題があるからと手をこまねいていては、さらに解決を難しくする。難題があればそれを一つづつ解決していかなければならない。
例えば賃金制度にある諸手当の見直し。家族手当はその代表例だが、それを今の賃金制度にどのように組み込んでいけばいいのか知恵を絞らなければならない。その上で、男女同一労働同一賃金を実現しなければならない。それを怠っていると、経営側からの一方的な家族手当の廃止に追い込まれてしまいかねない。
 経営者にとって、一番手っ取り早いコスト削減は諸手当の廃止にあることを噛みしめておきたい。

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