2020.07.21
暴走する「自分の正義」

 コロナ問題のさなか、行政の休業要請に従わず開店を続けたパチンコ店、そこに殺到する一般市民、外出自粛の呼びかけにもかかわらずサーフィンに興じる人々など、メディアで報じられる信じられない実態に唖然とし、それが何ともいえない怒りにも似た感じに代わっていくのをどうしても止められない自分がいる。自分は我慢をして家の中で自粛しているのに......と。

 こうした感情は誰にもあるようだ。案の定、「自粛ポリス」なる人々が出現し、自粛要請に従わない店舗に貼り紙をしたり、県外ナンバーの車を監視したり、SNSに投稿して晒しものにする動きが相次いで起こった。

 こうした現象について、社会心理学者の碓井真史さんは、【ちょっと喉がつっかえてゴホンと言っただけで、『コロナだ! あっちいけ!』となる。県外ナンバーの車も、本当はどこからきているのか確かめる術がないのに、『とにかく危なっかしい奴らは出ていけ』。店の貼り紙も投石も、自粛ポリス的な発想の人たちには『正義』ですから、堂々とやってしまうんです】

 こうした心理については【生活への不安や欲求不満で、攻撃性が高まるんですね。みんな、イライラをぶつける相手を探している。それが家族への八つ当たりだったり、県外ナンバー車の監視だったり、お店や役所への文句なんでしょうね。ある意味、私たちの中にある防衛本能でもあるんです。不安が高まれば、自分を守りたくなる。それが『よそ者』への攻撃に向かっていくんです。日本中に広まりつつあるのは、人それぞれの「正義」だ。(中略)科学的な根拠は特になく、目にした情報を集めて、自己流のルールを作ってしまう。絶対に私は正しいぞ、と思っている。自分の気に食わない情報は排除する。自粛ポリスの考え方は、こういうものです。非常時では、普段隠れている偏見や差別が出てくることもある。でも、これは、ほとんどの人たちにも当てはまる。パーソナリティーって結局、環境次第なんですよ】と指摘する。

 この分析によれば、「非常時では、普段隠れている偏見や差別が出てくることもある。でも、これは、ほとんどの人たちにも当てはまる。パーソナリティーって結局、環境次第なんですよ」ということだとすれば、自分自身の中にも隠れた心理として存在していることになるので些か怖くなってしまう。

 普段は心の奥底に隠れている差別意識、自分が優位にあり他者は劣る存在だという意識は普段は表に現れないが、ある時に噴出してしまうことがある。ある時とはコロナ禍の社会のように誰もが不安を抱いていて、それまでの自分たちの常識が不安定になった途端に起きる傾向があるらしい。

 特に、コロナ対策の先頭に立っているはずの政治家には、発言の機会が多くあるのでこうした意識が本音として表に出やすい。6月4日、麻生副総理は参院の金融財政委員会において、同じ派閥に属する中西健治氏との質疑において本音を漏らしてしまう。
【日本で新型コロナウイルス感染症による死者が欧米主要国に比べて少ないのは、「民度のレベルが違う」から――。麻生太郎財務相が4日の参院財政金融委員会で、独自の説を展開した。そして、この認識が国際的にも「定着しつつある」と説明した。質問に立ったのは、自民党の中西健治氏。麻生氏が率いる麻生派に所属する。ロックダウン(都市封鎖)などを伴わない日本の新型コロナ対策をめぐり、「自由という価値を守り続けてきた。高い評価を受けられるべきでは」と尋ねた。政権の対応を持ち上げる質問だったが、麻生氏は「自由って言うけど、憲法上できなかったから、結果としてなっただけであって、そういった見識をもってこれに臨んだのかねぇ」と皮肉っぽく回答。そして、「それでも効果があったというところがミソですかねぇ」と続けた。さらに、死者数の割合が高い米英仏を例に挙げ、「こういうのは死亡率が一番問題。人口比で100万人当たり日本は7人」と強調。他国の人から「お前らだけ薬を持ってるのか、ってよく電話がかかってきた」と明かし、「そういった人たちの質問には『お宅とうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』と言って、みんな絶句して黙るんですけれども」と語った。「このところ、その種の電話もなくなりましたから、何となく、これ定着しつつあるんだと思います」との見方も付け加えた。】(「朝日新聞デジタル」6月4日)

 言わずもがなとは思うが国の民度とは、「その地域に住んでいる人々の経済力や文化の程度」(三省堂「新明解 国語辞典」)のことで、もっと詳しく述べると「特定の地域・国に住む人々の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる 。明確な定義はなく、曖昧につかわれている言葉である。」(ウイキペディア)ということになる。

 この民度の優劣には当然のように他国との比較が根底にある。他国に比べて日本は民度が高い。逆に言えば他国は日本より民度が低いのだという優越感をもとにした言い方なのだ。これが差別意識を生み出してしまうことにつながってしまう。

 それでは差別意識につながらない表現とはどんなものか。今回の場合に最もふさわしいのは国民性というべきではないのか。国民性とは「その国の歴史や風土に起因し、国民共通に見られると考えられる気質である」(ウイキペディア)。
具体的に言えば、【日本人の国民性は、国内外問わず、時には称賛され時には奇異の目で見られている。例えば、働き者で真面目、礼儀を重んじる性格は歓迎されるところであるが、内気で働きすぎるなどの点は反省すべきであろう。こうした国民性は、日本列島という地理的な要因が深く影響している。周囲を海に囲まれ、自然災害が頻発するという過酷な状況が、こうした国民性を産んだのだ。(中略)日本列島は、環太平洋造山帯の上に位置し、頻繁な地震活動や火山活動にさらされている。その上、台風の通り道でもあるため、洪水などの水害も頻繁に発生している。このような頻発する自然災害は、たびたび生活環境を破壊し、大自然の圧倒的なパワーを前に無力感を思い知らされてきた。その恐怖は、常に我々国民に重くのしかかっている。 しかし我々の先祖は、災害に見舞われるたびに、忍耐力と団結力をもって復興を実現してきた。日本人にとって、繰り返す被災と復興は、これらを強固にする地盤となった。自然災害からの復興には、その事業が大きいものほど、その実現には忍耐と団結が重要である。特に事業に従事する者は、それぞれの役割を責任をもって果たさなければならない。
また、こうした事業には、社会が一丸となってこれに取り組まなければ、復興の実現は長引いてしまう。こうして復興事業のたびに、我々から忍耐力と団結力が引き出された。日本人は、試練を受け続けた結果、忍耐力、団結力といった性格を身に付けざるを得なかったのである。こうして培われた忍耐力、団結力といったものは、第二次世界大戦や、その後の経済成長の基礎となったのである。(後略)】(「FIGHT CLUB」)

 哲学者の和辻哲郎は「風土をモンスーン(日本も含む)、砂漠、牧場に分け、それぞれの風土と文化、思想の関連を追究し」ゆえに日本人は、「暑気と湿潤な自然が、そこに暮す人々を受容的・忍従的にさせる」とした。

 しかしその受容的・忍従的であるはずの日本人も、コロナ下のように強い不安の中では理不尽な行動に走ってしまうのだろう。

 精神科医の片田珠美さんはこう指摘する。
【欧米で死者が激増し、日本でも志村けんさんや岡江久美子さんなどの著名人が亡くなりました。ワイドショーなどで連日そうした報道がされたことも影響し、社会全体の感染への不安が非常に強くなった。さらに経済が大打撃を受けていることで、生活への不安も増しました。多くの人は極度の不安で視野狭窄に陥っています。】そして「怒りの置き換え」のメカニズムが働くという。
【たとえば、"上司や姑から叱責されて腹が立った"としても、本来の怒りの原因となった人が怖くて直接怒りをぶつけられない場合、その矛先は弱い立場の人に向けられます。今回のコロナによって生まれた強い不安のそもそもの原因は、目に見えないウイルスや政府。だから、怒りを直接ぶつけられなかった。そこで怒りの矛先を変え、店員や配達員などの弱い立場の人々に不満をぶつけているのです。】

 だとすれば、先に述べた自分の怒りは、けっして綺麗な正義なのではなく、心の中にある「自分の正義が暴走している」のかと思ってしまう。

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