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2020.08.21
勤勉は時間の『量』ではない

 コロナ禍で混乱した会社経営の中、自宅勤務であるテレワークが推奨された。賛否両論ある勤務態様だが、知る限りではおおむね効果があるとされているようだ。

 人間は昼間働いて、夜になったら寝(やす)むのが自然だ。テレビのコメンティターの受け売りでいえば「体内時計」もそうなっているという。この人間としての自然な生活と経済活動における効率とは、時としてぶつかり合う。コンビニの正月休みが話題になるくらい、従業員の勤務時間と利用者が感じる便利さとの間のぶつかり合いがその良い例だろう。

たしか正月休みに店を開くべしとしたのは当時のダイエーであった気がするが、その話をめぐって労働界でも賛否両論があった。一つは「顧客商売である以上、顧客が望むのであれば正月休みは返上すべき」というものと、せめて「正月くらいはゆっくりと体を休ませるのが社会常識」という意見のせめぎあいみたいなものであった。前者が賛成論、後者が反対論の理由だが、この時期を境にサービス産業は、文字通り「お客様は神様」とばかりに年中無休や24時間営業が花盛りになった。それがやっと、世の「働き方改革」とあいまって見直しが始まったである。
この人間らしい働き方というのは、労働による収入との比較において両立しないことがある。収入を得るために働き方を犠牲にすることだ。もっとも身近にあるのが残業であり、交代勤務である。

はるか昔にことになるが自分が単組・支部の役員をしていた頃、会社側から交代勤務が提案された折のことだ。「昼に働いて夜に寝る」という人間として当たり前の生活を目指している労働組合として、可能な限り日中の勤務形態を優先していたものの、当事者からは交代勤務を望む声が多く出されて唖然とした記憶がある。理由は収入である。残業時間手当と交代勤務手当の魅力が原因だ。当時の賃金水準を考えれば、あらゆる機会をとらえて収入増を図りたいと思うのは当然で、もっとはっきりしたのが交代勤務の廃止が話題になった時だ。こぞってまでとは言えないが、当事者からは交代勤務が廃止になれば収入減になるので反対という声も大きかった。

当時の賃金水準を考えれば収入を第一に考えるのもうなずけたのだが、近年になったようやく「収入よりも健康」が優先されるようになった。

 このように残業と収入をどのように割り切るのかは当事者にとって難しい問題なのだ。労働組合が口を酸っぱくして、「健康管理のために残業を減らすべきだ」と主張しても、従業員の中には必ずしも組合の主張に賛同する人ばかりではない。もちろん残業を優先する人の中にも、収入だけではなく会社業務を考えて判断している人も多い。

 しかし、こうした従業員の意識に悪乗りする経営者も多い。従業員に違法残業をさせて労働基準法違反に問われ、2017年9月22日、東京簡易裁判所に出廷した電通の山本敏博社長は、「社長として重大な責任を感じている。当社の最大の誤りは、『仕事に時間をかけることがサービス品質の向上につながる』という思い込みを前提にしたまま、業務時間の管理に取り組んでいたことにあると考えております。」と謝罪の言葉を述べた。

 電通は今まで「1991年、入社2年目の男性社員(当時24歳)が自宅で自殺。男性社員の1カ月あたりの残業時間は147時間を超え、上司からのパワハラもあり、遺族が会社に損害賠償請求を起こした。裁判は遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審」
「2013年、当時30歳で病死した男性社員についても、長時間労働が原因の過労死として労災が認定された」
そして2015年には「高橋まつりさん事件」が起こる。
高橋まつりさんは東京大学文学部を卒業し、平成27年4月に電通に入社した。そして同年10月からインターネットの広告部門を担当していたが、半年間の試用期間を終えて本採用となったばかりで、人数不足と業務の増加に苦しんでいた中で、次のような「遺書メール」を残して命を絶った。入社後わずか半年の人生だった。その遺書メールには、

「生きているために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってからが人生」(11月3日)
「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」(11月5日)
「毎日次の日が来るのが怖くてねられない」(11月10日)
「道歩いている時に死ぬのにてきしてそうな歩道橋を探しがちになっているのに気づいて今こういう形になってます...」(11月12日)
「死にたいと思いながらこんなストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか」(12月16日)
「なんらな死んだほうがよっぽど幸福なんじゃないかとさえ思って。死ぬ前に送る遺書メールのCC(あて先)に誰を入れるのがベストな布陣を考えてた」(12月17日)

 そしてついに、クリスマスの12月25日、社員寮の4階から身を投げて短い人生の幕を閉じた事件であった。
健康社会学者の河合薫氏は、12月13日の「ITmediaビジネスオンライン」で次のように指摘している。

【違法を繰り返すマインドの根っこには、人をコストとしてしか見ない非人格化思想がある。「別に死ななきゃいいだろ?」くらいにしか思っていない。そうとしか私には思えません。
 ただその一方で、残業規制が厳しくなったことに不満を言う人たちを、これまで何度も見てきました。
「夜中まで働きたい人もいるんだから、残業規制っておかしいよ」
「多様性っていいながら、国に残業時間を一律に決められるって納得できない」
「残業減らされると給料減る。やめてほしい」
 などなど。
 私はその度に「どんなにやる気があっても、仕事が好きでも、長時間労働をして睡眠時間が削られると、脳疾患や心疾患を引き起こす。『月80時間以上残業しています』と胸を張る人は、たまたま生き残っているだけ。いつ死んでもおかしくない。明日死ぬかもしれませんよ!」と脅してきました。】

 残業が死と直結するとはだれもが考えつかないからだろうが、管理者の在り方はもちろんだが、私たち自身も真剣に考えておかなければならない問題だ。

 誰しもが「自分の存在を認めてほしい」「自分は仕事に貢献できている」と考えているが、その根底には、「忙しく働いていることが仕事ができる人の証し」と錯覚している気がしてならない。つまり、時間の量を「勤勉の証し」「仕事ができる証明」と考えているのだ。

 はるか昔から、日本では「朝は朝星(あさぼし)・夜は夜星(よぼし)」を抱いて働くことが美徳であり、勤勉さの象徴と考えられてきた。しかし、現代では「働き甲斐」や「生き甲斐」が人間の存在を証明するものであり、勤勉も、仕事の鬼も、働く時間の量で決めるものではなくなった。

 しかし勤勉の尺度が「時間の量」でないなら、何をもって「勤勉の尺度」を考えるべきなのか。

 「勤勉は時間の質」なのだが、仕事を「人生を豊かにする最高の手段」、すなわち「生き甲斐」にするためにも、長時間労働は命を削る悪しき働き方と考え、企業においても、人間は「休息をとった方が効率が上がる」ことを心に刻みつけるべきなのだろう。

 私たちが毎日一生懸命に仕事に精を出すのは、収入はもちろん大事だが、それと同様に、仕事を通じて「やり甲斐」を感じ、「生き甲斐」を求め、そして「自分の成長」を目指していることを改めて心に刻んでおきたいと思う。

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