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2020.11.21
日本は解雇しやすいのか

コロナ禍の中、企業は業績悪化を理由に非正規社員を中心に多くの労働者を解雇している。
就職して給与をもらって働く労働者にとって、働く場を失うことは生活を失うことに通じる。生活を失えばどうなってしまうのかはいまさら言うまでもない。労働組合にとって、経営者に解雇をいかに避けさせるのかが最重要課題なのだ。

コロナ禍という普段とは違う状況とはいえ、企業の存続のためという理由で、多くの労働者が解雇されているのを見過ごすことはできない。
そもそも国の経済とはどういうものなのだろうか。

私たちは経済という言葉を簡単に使うが、そもそも国の「経済」とは、【中国の古典である隋代(581年~619年)の王通「文中子」(儒学者王通とその弟子たちの対話を記録したもので10巻からなる。なお、王通と文中氏は同一人物)にある「経世済民(けいせいさいみん)」の記述が語源といわれる。「経世」は「世を治める」という意で、「済民」は「民を救う」という意である。「世」は「国」と同義語だから、「経世」とは「国を治める」意味であり、「経世」を「経国」と言い換えて「経国済民」ともいう。
江戸時代に学者間で「経済」という用語が使われ始めたという。初めは理念的な政治政策の意味に使われていたが、次第に経済運営の意味でつかわれるようになった。明治時代に「economy(エコノミー)」の訳語として「経済」が選ばれた。】

だから「経済」とは、国を豊かにする(国を治める)ために、国民に生活の根源である働く機会が提供できて初めて「経済」といえるのである。国民に労働の機会を提供できなければ「経済」とはいえない。
経営者には正規・非正規に限らず従業員を雇う以上、その従業員の家族全員の生活を預かっている自覚が必要なのだ。その自覚とはどういうものなのか。いろいろと調べて見ると経営者の中には様々な意見があるようだ。

例えば、【ユニクロの新卒社員が入社後3年以内に退社した割合(離職率)は、2006年入社組は22%、2007年入社組は37%、さらに2008年~2010年の入社組は46%~53%と高まっていった。直近の入社組は、同期のおよそ半分が会社を去る計算になる。休職している人のうち42%がうつ病などの精神疾患で、これは店舗勤務の正社員全体の3%にあたる。】(2013年4月23日付「朝日新聞・朝刊」)

【日本の電機の一番の失敗は日本に工場を作ったことだ。安くて若い圧倒的な労働力が中国などにある。関税も参入障壁になるほどの高率ではないから、世界中にもっていける。本当は(安い労働力を使って世界中の企業から受託生産する)鴻海(ホンハイ)精密工業のような会社を日本企業が(国内生産をやめて海外に)作らないといけなかった】

上記記事は「ユニクロ柳井社長」へのインタビュー記事であるが、日本は法人税が高いから、人件費が高いから、と、海外のみの生産になったのでは、しかもそれがグロ-バル化の先端をいっているような評価がされるようでは、明らかに間違っている状況と言わざるを得ない。
しかし、そうした経営者ばかりではないのが救いだ。

空調大手ダイキン工業の井上礼之会長(85)はこう言う。


【「全世界の人々が同時に自分自身や家族の健康を考え、過去になかった大きな価値観の変化が起こっています。ワーク&ライフ・バランスのうち、ライフの比重が高まっていく。そうすると、個人は会社にそれぞれの事情をきちんと主張し、経営側はそれに見合った勤務形態や雇用の柔軟性を確保することが役割となります」
 「これは長年取り組んできた多様な価値観を是と受け止め、個人の出る杭を認める職場づくりに通じるものです。同じような色の絵の具を混ぜても似たような色にしかなりませんが、違った色を混ぜると、とんでもない色が出てきますよね。多様性は変化の時代においての競争力です」】
(「朝日新聞デジタル」8月3日)


このように経営理念についても様々な考え方がある中で、仮に経営の継続が困難だとなった場合、日本の法律は解雇についてどのような制約を経営者に課しているのだろうか。

法律上、解雇とは使用者による労働契約の解約になる。この労働契約で、雇用期間を定めている契約は、雇用期間が来れば労働契約は終了するから、新しい契約を結ばない限り、使用者に雇用義務はない。この考え方が、今問題になっている非正規社員(多くは雇用期間が定められている)の解雇という形になる。法律上は経営者に責任はないことになる。
そのために、サービス産業に限らず、多くの日本企業が非正規社員を多く雇う傾向になっている。その比率は40%を超え、正規社員の比率に迫りつつあるし、不安定な非正規社員の拡大こそがアベノミクスと呼ばれる経済政策の中心であり、雇用状況は改善したと豪語する中身なのである。

非正規社員の増加に労働組合が無関心であってはならないと警鐘が鳴らされるのも、身分の不安定な労働者をつくらないように、あるいは正規・非正規の格差の発生を避けるのが労働組合の義務でもあるからではないだろうか。
正規社員が、非正規社員の存在を無視し、自分たちは安心だからと安穏としているうちに、じつは正規社員にも解雇の暗雲が立ち込めつつある。
正規社員、すなわち雇用期間が定められていない労働者の解雇は確かに制約を受ける。昔の民法の解釈では、使用者による労働契約の「解約の自由」も認められてきたが、それでは生活が脅かされる労働者への打撃が大きすぎるから、労働法の中で規制していくことになった。

現在の解釈になるまでにいくつもの変遷をたどるが、現在は、【客観的に合理的な理由がない解雇や社会通念上相当と認められない解雇は、解雇権の濫用として】無効になる法理が確立された。
とはいえ、この「客観的に合理的な理由がない」とはどのようなケースが当てはまるのか。あるいは、「社会通念上相当と認められない」ケースとはどうか。両方とも抽象的ではっきりしたものでないため、経営者の主張と労働者の主張は対立することになる。

そして裁判が行われ、多くの裁判例を積み重ねて「解雇権濫用法理」が確立されることになる。
そしてさらに、「普通の解雇事由がある場合でも、使用者は常に解雇できるものではない」としたうえで、「著しく不合理であり、社会通念上是認できない場合は解雇は無効」ということになった。

コロナ禍で混乱した経済環境の中で、多くの解雇事例がメディアを賑わせているが、個々のケースで労働組合が存在しているのか、というもが気になるのである。
労働組合がないことによる不合理な解雇がありはしないか。あるいは、あったにしても労働組合の対応力によるものなのか。

この世の中、一人でも解雇によって生活が困窮してしまわないのか、家族全員が追い詰められてしまわないのか、そうしたことが起こらない経済の在り方が改めて問われているのである。テレビを通じて流される経済学者や、政治ジャーナリストの一言一言に耳を傾け、その是非を考え、日本の「経済」の在り方はどうあるべきなのか、適切な判断力が必要なのである。

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