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2021.06.21
差別とは、格差とは

世の中には他者との違いを表す言葉として、格差であったり、差別であったり、いろいろな表現がある。しかし、それらを厳密に区分けすれば、【差別とは、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。それが優遇か冷遇かは立場によって異なるが、通常は冷遇、つまり正当な理由なく不利益を生じさせる行為に注目する。】(ウイキペディア)


この「語り継ぐもの」(158)でもふれたが、再度引用すれば【東大の入学式のあいさつで話題になった上野千鶴子氏は「日本型雇用は基本的に「男性稼ぎ主モデル」です。夫である男性が一家の大黒柱で、妻である女性が家事と育児を一手に引き受けることを前提にして成り立っていて、それをずっと維持しています。これが今日に至るまで変わっていません。」と、日本型雇用が男女差別の根底にあると断言する】。


女性差別の根は深いが、根が深いからこそ、差別の解消に向けて労働組合の果たすべき役割は大きい。意識の改革を待っていてはなかなか実現しないがゆえに、「クオーター制」の導入が必要になっている。


クオーター制とは【人種や性別、宗教などを基準に、一定の比率で人数を割り当てる制度で、とくに男女の共同参画を実現するために、一定の割合を女性に優先的に割り当てる】もので、これに対して男性の側から「逆差別では」との声もちらほら聞こえてくる。


法律で罰することによって「セクハラ」は違法な行為であることを明らかにしたように、意識の改革が進まない典型的な例である女性差別を解消するには、社会の仕組みの中に女性の進出を図り、その活動をもって改革を進めていく必要があるのがゆえに、逆差別の指摘は当たらないのである。


身近なところでいえば、政治では一定の数を女性議員に割り当てることが議論されるが、労働組合では、役員の一定割合を女性に就任してもらうことを意味する。


労働組合の女性役員の比率は、徐々にではあるが増えつつあるものの、いまだ少数にとどまっている。そろそろ労働組合役員にクオーター制を導入し、本格的に女性役員の増加に取り組まなければならないのではないだろうか。


差別といえば、現状の処遇制度の中ではもう一つ「年齢差別」も取り上げなければならない。日本の企業では各社とも「定年」を定めているが、昨今の雇用状況の厳しさから、定年まで働けたら「御(おん)の字」というような声も聞こえるが、定年とは、定年まで働ける制度を意味するものではない。進歩した近代社会では、自分の体力、健康、意欲など働く意思を持っている限り、何歳であろうとも自らの意思で退職年齢を選択するのが本来の在り方なのであり、定年とは一定の年齢をもって強制的に退職させる制度と考えるのである。


なぜこのような論理が成り立つのか。その根底には、定年制とは「年齢に達したら強制的に退職せざるを得ない」のは「年齢差別」という理念があるからである。


男性が女性になることはできない。女性が男性になることもできない。いくら努力しても人間である限り、如何(いかん)ともし難い性別の中で、性によって雇用や処遇に差があれば、それは「男女差別」の範疇に入るものであり、同じように、人は誰しもが一年たてば一歳しか加齢しない。一年に二歳も三歳も年を重ねることはできない。そうした定めのある「年齢」によって退職が決められるのが年齢差別なのである。


もうはるか昔になるが、1968年(昭和43年)12月に、秋田県の北エリアを走行する秋北バスの労働組合が、定年(当時は停年)制度は憲法でいう「法の下の平等」に反しているとして裁判所に提訴(秋北バス事件と呼称)した事件に最高裁の判決が示された。


最高裁は「およそ停年制(筆者注・当時は定年ではなく停年と表示されていた)は、一般に、老年労働者にあっては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにもかかわらず、給与が却って逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために行なわれるものであって、一般的にいって、不合理な制度とはいうことはできず」との判断を示した。


これは年功序列の処遇によって、若年時には「能力よりも給与が低いが、加齢によって能力よりも給与が高くなり、そのプラスマイナスを停年によって相殺している」から憲法違反にはならないというものである。


「労働者の生涯給与は、若いうちは能力よりも低い給与、途中から能力よりも高い給与が支払われるので、そのプラスマイナスを相殺する時期が定年なので、社会的に不合理ではない」と判断しているのである。


人として如何ともしがたい性差、年齢の扱いによって、処遇にも差を設けることが差別とするならば、もう一方の社会のさまざまな理由による処遇の差は格差ともいうべきか。


今日、日本は格差社会といわれるが、デジタル大辞典による解説によれば、【格差社会とは、成員が、特定の基準から見て隔絶された階層に分断された社会。特に、所得・資産面での富裕層と貧困層の両極化と、世代を超えた階層の固定化が進んだ社会】で、日本の現状は【バブル経済崩壊後の不況で、中高年の雇用を守ることが若年層の雇用条件の悪化をまねき、世代間の生涯所得格差を広げた。また、産業界への規制緩和により、リスクを取って成功した者と、失敗した者やリスクを取らなかった者との格差も広がった。さらに、親の経済状態が子の教育機会に影響し、高い教育が好条件な就業機会につながるため、格差は世代を超えて継承されつつある】という。


 「格差」と一口にいっても、格差の指標には【所得が低く経済的に貧しい状態にある人が全人口に占める割合をいう「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」の二種類】があり、【絶対的貧困率とは十分な所得がないため最低限の生活必需品を購入できない人の割合をいい、世界銀行では、1日の所得が1.90米ドル相当額(貧困ライン)未満で生活する人を絶対的貧困層と定義】している。


 それに対して、【相対的貧困率は国民の所得分布の中央値の半分に満たない世帯の割合】をいう。


かつて日本は格差の少ない社会といわれてきたが、いまやOECD主要国の中では最悪クラスとなっている。格差社会が拡大して最も打撃を受けるのは,いうまでもなく若者層,高齢者層,貧困層で、とくに顕著なものが,非正規雇用の増加、社会保障の縮小などの現象である。


こうした現象は日本のみならず先進資本主義国のほとんどがこうした悪循環に陥っている。一部の国で起こっている「反格差社会」の運動は、世界中に拡大していくだろうと警鐘が鳴らされている。


こうした格差への不満は人々の心を蝕(むしば)み、やがて怒りに変わっていくような気がする。おそらくそうした怒りが「反格差社会」運動のエネルギーを支えているのではないか。


しかし、この格差社会を作り上げている一つ一つの要因を改革していくことは可能なのだ。例えば、上述した非正規雇用者の処遇格差を解消させることができれば、あるいは社会保障の縮小に歯止めをかけることができれば、格差社会の解消に少しばかりの役には立つはずである。そしてそれは、決して不可能なことではなく、労働組合の活動によってのみ成し遂げられることではないだろうか。


すでに各組合の方針を見ても男女差別の解消を謳い、「エイジレスの処遇」を掲げている組合すら見受けられる。


近い将来、連合傘下でクオーター制による女性役員が増え、差別や理不尽な格差の解消に向けて立ち上がる労働組合の姿が目に浮かぶのである。

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