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2021.10.04
労使関係論では個別的労使関係をどのように扱ってきたのか(下)

私が本稿で強調したいことは、労使関係論を、個別的労使関係にて捉えなすことは、ノンユニオニズムにはならない、ということです。

それは、「『個人取引』を放置するならば、生活は『低下』する。...『個人取引』がまかり通っているかぎり、労働者同士の激しい競争を抑制することはできない」(木下2020:71-72)と決めつけられるものでもない※2 ということです。

逆に、団体交渉を労働組合の中心的機能として捉えると、企業横断型でなく企業ごとに組織されている企業別組合という組織形態は「日本の労働組合というものが、世界でも異質なガラパゴス的形態...それは世界の中で異端なのです」(濱口・海老原2020:15)と規定されてしまいます。

そのため、「日本の労働組合は社内に閉じこもっているわけだから、組合員が声を上げたりすると経営から厳しい仕打ちを受けてしまいそうで、戦々恐々としてしまいがちです」(濱口・海老原2020:16)と見なされてしまいます。

そして、「外につながらない労働組合が、社内だけで労働運動を続けているという片翼飛行は、どのような帰結を見せるのか。協調、なれ合い、そして組合弱化」(濱口・海老原2020:187)と結論付けられて、企業別組合に未来はなくなってしまいます。

そればかりか、労使関係を団体交渉、すなわち集団的労使関係に限定して捉えると、労使関係論は終焉論に至ってしまいます。

遠藤(2014)では、「2013年現在、理論としての労使関係論はほぼ終焉したと考えてよい」(p.59)としています。

その理由を、
変化①:産業構造が変化し、産業の中心が、製造業からサービス産業へ移行した
変化②:雇用の比重が、常用の典型雇用から不安定な非典型雇用へ変化した
変化③:女性労働者が増加し、それが大きな要因となって、家族形態が多様化した
変化④:国際競争において企業が優位にあるか劣位にあるかによって、その企業に働く労働者の雇用労働条件が大きく左右されるようになった
変化⑤:外国人労働者が不安定な非典型雇用の供給源になった
―ことから説明しています。

さらに、遠藤は、「『団体交渉』を中心とした労働組合は、現在、機能不全となっている」(p.67)ことを、「労働組合ではないが、労働者の雇用上の権利を擁護する組織...これらの活用によって、しばしば労働組合の機能以上に、労働者の権利擁護が可能になった」(p.68)こと。それらの組織として、「労働NPO」「協同組合や社会的企業」「能力開発・雇用紹介・就労支援の諸組織」を挙げています。

それもあってか、1990年以降、労使関係の個別化が進むことで、「労務管理」「人事管理」という言葉は、ほぼ使われなくなり、「人的資源管理」と呼ばれる時代となっています。そして、『人的資源管理』のテキストの中で、集団的労使関係を取り上げる「労使関係管理」という章がなくなりつつあります。

その代表的HRM(Human Resource Management)のテキストが平野・江夏(2018)です。第9章が「労使関係―従業員尊重のための人事管理」と題されていて、その章の最後の第5節に「従業員が勝ち取る権利」として労働三権が憲法で保障されていることを述べ、「経営者と労働組合の間では、じつに幅広い事柄が議論・交渉されている」(p.175)と触れられているだけです。

そればかりか、最近の労働組合の影響力の低下にふれて、時代の流れは集団的労使関係から個別的労使関係への変化を示唆しつつ、労働問題の課題解決に労働組合が関わらない個別労働紛争解決システムの機構が整備されていることに言及します。

さらに、「労働組合が存在しないにもかかわらず、労使間の関係が安定的で、職場に活気がある会社の事例に着目し、それを可能にするために経営者と従業員に求められることを、それぞれ述べましょう」(p.179)と読者に問うものとなっていてます。

そして、著書のタイトルを『人的資源管理』とではなく『人事管理』とした理由を「はしがき」にて、「学術」書ではなく「実務」書であるからとしていることから、もはや、集団的労使関係での労働組合の交渉力の必要性は消滅したとまでは言わないものの、労働組合の「影響力の縮小」を指摘し、「労使関係管理」として人事管理の諸制度や機能として実務的に取り扱わなくてもよいことを示す著書となっています。
このように述べるところの意図は、推測するに、「労働組合の存在価値・役割が見られない」という「労組機能不全論」があるからでしょう。

しかし、労使関係に問題がなくなったのではありません。否、むしろ問題は多発しています。ただし、その問題は集団的労使関係ではなく、個別的労使関係においてなのです。

近年、未組織労働者を中心にした個別的労働紛争が多発していますが、私が問題としたいことは、労働組合が当事者として問題解決に当たるものにはなっていないことです。むしろ、労働組合として対処しようとしない、または出来ないために、わざわざ法整備して、公的機関に対処させることにしているありさまです。
したがって、今日の日本での個別的労働紛争問題の解決方法は、ほぼ労働基準監督署や公共職業安定所による関係法令に基づく行政指導等や、労働局長による助言・指導、紛争調整委員会によるあっせん事項となっています。
もちろん、個別労働紛争当事者が、個人加盟ユニオンに駆け込み、団体交渉ごとにすることも増えていますが、この場合、問題の解決方法は、企業外から集団的労使関係に持ち込んで、解決へと進んでいくことになります。これは、個別労使交渉・協議がこじれてしまい、第三者に託する以外になくなったからでしょう。そのような場合は、これが順当な方法となるのでしょうが、そこまで至ると、もはや個別的労使関係での個別労使交渉・協議の領域から踏み出してしまっていることになります。

なぜ、個別労使交渉・協議の領域外に踏み出してしまわざるを得なかったのか、筆者はそれを問題にしたいのです。
企業内での個別的労使関係での問題処理は、苦情処理委員会やコンプライアンス担当部署の問題で取り上げることはあっても、企業内での個別労使交渉・協議としての組合活動事項として取り扱われ、またその実態が研究される対象にもならなかったからです。

以上、先月号から今月号まで述べたことで、筆者が訴えたいことは、どんなに個別的労使関係の領域が拡大(集団的労使関係の領域が縮小)しようとも、「労使関係管理」の視点を忘れてはならない、ということです。労働組合の存在価値や機能は、労使関係が残る以上、新たに生まれるものも含めて存在し続けるので、それをリサーチする必要があるというものです。
あわせて、労使関係が集団的労使関係から個別的労使関係へと移動しているという社会経済の変化に対応して、労働組合は、活動形態を変えて存続発展をとげていくという業態転換が求められる、ということです。

※2:マルクス(1818-1889)やエンゲルス(1820-1895)が見ていた19世紀の労働者ならそのようにも言えるでしょうが、21世紀においての労働力の価値(価格)は、知識や技能などの付加価値を生み出す力の差によって規定されると見るべきで、個別取引が労働者同士の激しい競争をもたらすだけとは一概に言い切れないと思います。

参考文献
梅崎修・中嶋哲夫(2005)「評価者負担が評価行動に与える影響―『人事マイクロデータ』と『アンケート調査』の統計分析」『日本労働研究雑誌』No.545/December
中嶋哲夫・松繁寿和・梅崎修(2004)「賃金と査定に見られる成果主義導入の効果―企業マイクロデータによる分析」『日本経済研究』第48号
遠藤公嗣(2014)「労務理論の到達点から考える労使関係」『労務理論学会誌』第23号
木下武男(2021)『労働組合とは何か』」岩波新書
濱口敬一郎・海老原嗣生(2020)『働き方改革の世界史』ちくま新書

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