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2021.10.21
~衆議院選挙特集 2の②~
信念に殉ずるのか、妥協か、困難な判断が求められている

1945年8月15日、今では無謀な戦争以外何物でもないといわれる太平洋戦争は敗戦を迎え、日本はアメリカ占領軍の指揮下に入った。アメリカ占領軍は、日本が再び全体主義・軍国主義で国民を抑え込み、悲惨な戦争への道を歩まぬよう多くの改革を行うよう指示した。


例えば、陸海軍の解体、財閥解体、農地改革、戦争犯罪人の逮捕、思想警察(特高警察)の全廃などのほか、労働組合の奨励、教育の自由主義化、国家と神道の分離、婦人参政権の付与、学校教育法六・三・三・四制の発足など改革の指示は多岐にわたった。


全体主義国家においては、労働組合は民主化の旗手として弾圧の対象となるように、日本も例外ではなく、戦後のアメリカ軍の改革指令によってようやく労働組合の結成が認められたのである。
また占領軍の政治改革によって共産党も合法化された。当時の共産党は日本社会の革命を目指しており、社会のあらゆる分野への進出を図った。その一つに革命の前衛と位置付ける労働組合への支配介入があった。


共産党系の労働組合の全国組織「産別会議」は、「生産管理闘争」や政治的な闘争を激しく展開しようとした。東芝労組では職場集会に共産党本部の書記長が演説するという状態にさえなっていた。さらに1946年6月には、当時の国鉄・東神奈川電車区で、「人民電車」と称し労働組合がダイヤを管理する事態が起こっている。
また、1947年には産別会議主導による2・1ゼネスト言われる闘争が予定されたが、占領軍の指示もあって2・1ストは挫折、その後共産党の支配介入に反対する民主化を求める組合員の努力もあり、共産党の影響力は弱まり紆余曲折を経て「総評」と「同盟」の二大ナショナルセンターが設立される。


これを機に共産党の組織的な組合支配は終焉を迎えたが、総評と同盟の統一による「連合」が結成されると、共産党系の労組は連合に対抗するために「全労連」を結成、その際に、共産党系の勢力が少数派であった労働組合では、その少数派が別の労働組合を結成して「全労連」に加盟することで、元の労働組合を組織分裂させることが頻発した。


しかし、この歴史があるせいか一般の共産党員は、引きつづき組合への介入を試み続ける。具体的には、あらゆる組合の方針に反対するビラを配布したり、組合の各役員・委員のレベルで会議を混乱させるため、嫌がらせに近い妨害をするなどの行動をとり続けた。
この組合への支配介入の歴史こそが、「連合」が共産党に対して強い警戒感を抱く理由である。
さらに共産党系の労働組合では組合員を政治闘争や選挙活動に動員しておきながら、「政党支持の自由」を理由に、連合系の労働組合の政治活動に反対する矛盾に満ちた主張を続けているのである。


話は変わって今年(2021年)7月の東京都議選の結果を見てみよう。
自民・公明の当選者数は56名、その他の政党の当選者数は65名であった。この結果からも、今度の衆議院選で野党共闘が成功すれば自民・公明の与党に拮抗する勢力になることが期待できる。
単純な数字上の比較ですべてを判断できるわけではないが、今の自民・公明の政権は、経済的にはアベノミクスにより貧富の格差を拡大させ、コロナ対策では発病しても入院すらできず、国民皆保険として世界に自慢してきた日本の医療制度を崩壊させ、国民の財産である公文書を改ざん、廃棄する暴挙で若き官僚を死に追いやるなど、目に余る惨状を引き起こしている。


この惨状を選挙によってどう是正させていくのか。数字上は野党共闘ができれば実現できる可能性は高い。それはわかっていても、簡単にそうならないのは労働組合に対する共産党の支配介入の歴史があるからである。


現役の組合役員がどのくらい警戒感を抱いているのか。
今年の6月下旬、連合の神津里季生会長は講演で「共産党は民主主義のルールにのっとって物事を進める組織と言えない」と痛烈に批判した。
連合東京は6月1日付で出した事務局長談話で、「共産党と与(くみ)しないこと。違反行為がある場合には推薦等の支援を取り消すことになっている」という。
野党共闘が実現できれば政治の改革が可能になることが分かっていても、なぜそうならないのか。
自民・公明の政権与党にしてみれば、野党共闘を実現されては選挙で敗北しそうなため、何としても野党共闘を実現させまいとする。


例えば、【公明党は5月には党のホームページにこんな文章を載せている。「共産が、野党連合政権に向けた重要なステップと位置付ける都議選での共闘は、単なる『地方選での協力』という域にとどまらず『社会主義・共産主義革命戦略への片棒担ぎ』となってしまう可能性がある」「共産票が欲しい現場では、共産に蝕まれ始めているのが現状らしい」】(「ハフポスト日本版」6月30日)というように、なりふりかまわぬ批判を強めている。


そんな環境の中で野党共闘を実現させることが期待されるのだが、そのために何が必要なのか。たとえそれが針に糸を通すがごとく、ほんのわずかな可能性であっても、野党共闘の実現に努力することが求められている。


労働組合にとって、組合への支配介入で苦労してきた歴史があるので、野党共闘には簡単に賛成はしにくい。しかし、今日の政治力学では、野党共闘を実現させることが「国民のための政治」を取り戻す唯一の手段でもあるのが現実。その現実を前に「野党共闘」にただ反対し続けるのが正しい判断なのか。その選択を迫られているのだ。


針に糸を通すがごとき可能性。野党共闘を実現するためにはどうすればいいのか。
そのためには、まず共産党自身が「労働組合への支配介入」を反省することが重要になる。
もともと政党とは、一つの理念・信条を持つ人々が集まってつくられるものに対し、労働組合はたまたまその企業に就職した従業員によって構成される。だから労働組合はさまざまな考え方の人が集まっている組織なのである。組織の成り立ちが大きく違っているのに、政党の考え方を絶対視して押し付ければ反発されるのは当然なのである。「組合の方針は組合員が決める」という当たり前のことを認めなければならない。それが「組合への支配介入」を反省しなければならない理由である。


そうした一方、労働組合は「共産党アレルギー」を克服しなければならない。確かに現実の政策では、意見の合わないものも多い。しかし、「国民のためになる政治を実現」するために、「やむを得ない妥協」を厭(いと)うてはならない。「原発」をめぐる是非についても、現状原発が存在しているのだから、いきなり「原発ゼロ」では無理がある。
しかし、福島の原発事故で明らかになったように、放射能廃棄物の処理はいまだに解決のめどが立っていない。だとすれば、盲目的な「原発推進」も「原発ゼロ」も、現実的な政策とは言えない。そこに話し合いの余地が生まれてくるはずである。


私たちが考えなければならないことは、今度の衆院選を、何としても「国民のための政治」を実現させる選挙にしなければならないことである。
「国民のための政治」をどのように実現させるのか。そのために労働組合は何をすべきなのか、その困難な判断が迫られているのである。


最後に、9月9日の朝日新聞デジタルから、政治学者の岡田憲治氏の言葉を紹介しておこう。
【政治的リアリズムを身につけろ、ということです。既成事実に屈服しろとか、目的のために手段を選ぶなということではない。信念を持たない政治は、利権に容易に取り込まれます。一方で、信念に殉ずるのは、政治ではない。それは最初から現実との戦い、試合を放棄した敗北主義、ナルシシズムです】

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