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2022.06.21
提案型労組・提案型野党は生きるも死ぬも相手次第か?

政治の世界でも、労働運動の世界でも、「何でも反対は生産的ではない」、「何でも反対は有害である」といわれている。政界・労働界のどちらかといえば、政治の世界での「何でも反対」の方が非難を受けやすいようだ。それは政治の方が毎日のニュースになりやすいからかもしれない。そこへいくと労働組合は、もともと使用者側と対立する関係にはないことや、春闘のようにニュースの対象になる活動が少ないせいか、新聞でもテレビでも「労働組合」のことばを目にすることは少ない。


しかしよく考えてみると、世間で言われている「反対」ばかりするよりも提案型が好ましいという意見も、その好ましいという提案型の良(よ)し悪(あ)しを決めるのは、対象の政党や労組ではなく相手次第であることがよくわかる。
政治の場の提案型とは、日本の今でいえば政権与党の自民党・公明党に対して野党がとる態度を意味している。


ウイキぺディアによれば、政党とは【共通の政治的目的を持つ者によって組織される団体をいう。選挙や革命を通じて政治権力を獲得、維持し、または政策決定過程に影響力を行使することによって、政策を実現しようとする。政党は市民革命以後の近代欧米諸国において、選挙制度とともに発達した。現代では欧米に留まらず、ほとんどの国において政党を基軸にした政治が展開されている。一つの価値観、あるいはよって立つ基盤といってもいいかもしれない、そういうものに賛同する人々が集まって創られる。】ものをいう。


余談だが、よく言われる左翼と右翼という呼び方についても【18世紀のフランス革命後の国民議会の座席位置を由来とする。この最も単純な「左翼・右翼」の軸では、共産主義や社会主義は通常は左に、ファシズムや保守主義は反対に右に位置する。リベラリズムは異なった思想や内容を意味するため、時には左に、時には右に配置された。
(一般的には)左翼(リベラル)は政治的な自由度が高いが経済的な自由度は低く、反対に右翼(保守主義、資本主義)は政治的な自由度は低いが経済的な自由度は高く、そして両方の自由度が高いのはリバタリアニズム(個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想・政治哲学の立場である。経済的な自由を重視する新自由主義と似ているが、リバタリアニズムでは個人的な自由をも重んじる。他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する。リバタリアニズムを主張する者はリバタリアンと呼ばれる。日本語では完全自由主義、自由人主義、自由至上主義、自由意志主義などの訳語がある)、両方の自由度が低いのはポピュリズム(全体主義)としている。】ということのようだ。


こうした中で政党の役割は何かといえば、それは選挙で多数を制し、与党になって自らが掲げる政策を実現するために、他の政党に対して政治闘争をすることにある。日常的に政治闘争をし続けること、それこそが政党の役割なのだ。
政治闘争である限り、政権を倒すことを目的にした批判、権力構造の本質を突く批判はやらなければならないはずである。


【近年でも野党時代の自民党はそうしていた。「批判ばかり」と言われておじけ付くなら、政治家をやるべきではないでしょう。民主政治の危機になりますよ。もし政治闘争をする気がなく、政権に政策を提案したい政治家なら、シンクタンクで働けばいい。提案するだけなら、必ずしも政党や政治家である必要はないと思います。】と、元通産官僚の福島伸享衆院議員は述べている。
各政党の政策は、一見しただけでは理解しにくいくらい似通っている。各党とも国民の支持が欲しいから似通るのも当然のことといえるのだが、では政権与党と野党の違いは何なのか。
野党は第一に、政権の権力構造の本質はどうなっているのかを国民の前に明らかにすることであり、その是非を問うことであろう。そして政党の価値観の違いを明らかにすることである。


では権力構造の本質とは何なのか。権力構造とは、世の中を動かしていると思われる、わずかな人々が持っている思想によって作られ、その人々が右といえば右に、左といえば左になっていく構造を指している。
そうした関係の中で、権力側が間違えていると思ったら、自分たちの意見が世論の支持を受けている限り、批判を恐れずに体を張って審議を止めるような行動に出てもいいように思える。たとえば、森友学園事件、加計学園事件、「桜を見る会」などの私物化、権力の内部で起きている身内びいきや忖度などを、国民の前に明らかにするのは野党の重要な役目なのである。もし批判ばかりという言葉浴びせられるとしても、権力を持っている側がこのような場合、いくら具体的な政策を提案しても、権力の側の都合の良いように利用されるだけになってしまう。相手次第で、提案型野党は意味をなさないどころか、いいように利用されてしまうだけなのである。ここに提案型政党の難しさがある。


一方、労働組合の提案型とはどのような活動を指しているのか。
政党と労働組合はその成り立ちが違う。たまたま同一の会社に勤めている者が集まって組織しているのが労働組合だ。そして労働組合を認めようとしない使用者がいれば、労働組合法という法律によって、労働組合の結成や活動を保護し、育成することを進めてきた。
法律によって認められる労働組合活動とはどのようなものなのか。それは、主に組合員の経済的向上を図る活動に取り組み、関連する社会・福祉・政治活動を従として活動をする団体をいう。これを見れば分かるように、活動の主たる相手は会社側である。組合対会社という関係においては、根本的な対立はないから、「何でも反対の労働組合」、「会社の事情を一顧だにしない労働組合」は普通は存在しない。ただし、現在の経済システムまでを否定する思想を持つ労働組合の場合はこの限りではないが。


労使関係において、労働組合活動に提案型を求めるということは、会社の労務施策において、たとえば賃金体系の新設や改定、従業員の処遇体系の整備などを議論する際に、会社側の提案に理由もなく批判や反対するだけでなく、労働組合自らが代案を提案すべきということになる。
その一方で、相手方の会社側に従業員を大事にしない風潮が見られれる場合や、提案に一貫性がなかったり、経営施策の失敗を覆い隠そうとする傾向があれば、簡単に賛成するわけにはいかないという側面があるし、せっかく提案しても真摯に検討さえしてくれないこともある。
つまり、相手側からの提案の中身や態度次第では、反対し撤回を求めることが起こりうるのである。その場合、「反対ばかりして」という批判は当たらない。
結論を言えば、賛成にしろ、反対にしろ、労使が信頼関係の上にあり、労働組合の決めた方針が組合員の、そして世論の支持を受けているのかどうかによって批判が分かれるのである。


労働組合活動は、単に組合員という構成員だけの支持ではなく、広く国民に支持される活動を心掛けなくてはならない。そこに提案型か否かよりも大事なものがあるような気がするのである。

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