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2022.08.01
「発言する職場」「模範的フォロワーシップ」「PDCAの運営」の共通点 上

今月の主題は、職場での目標管理・人事考課制度の各面談での従業員の面談力、つまり個別労使交渉・協議力(発言力)が企業間競争力の源泉になっていることを3つの先行研究から明らかにすることです。あわせて、今日の労働組合の役割と責任が、個別的労使関係での分権的組合活動、つまり個別労使交渉・協議力(発言力)の実態及びレベル調査を行って、労働組合主導でそれの改善に取り組むことが、組合員・労働者の雇用と賃金を維持・向上させるには、最も合理的かつ効果的であることについて論述することにあります。


個別労使交渉・協議力(発言力)が企業間競争力の源泉になっていることの第1の根拠(先行研究)は、小池(2012)の、生産職場での労働者の発言及び経営参加が、国際競争力の根幹にかかわるものである、との指摘から追認するものです。
小池(2012)の主張は、高品質日本の起源は、発言する職場(職場の労働者の発言や知恵がきわめて重要な事項[品質]に及んでいる)から生まれたものであり、それが1920年代からの繊維産業の世界市場への進出を可能にしたもので、日本の労働組合運動の原点である、というものです。


一般的に一国の国際競争力は、すぐれたリーダーやエリート、また革新的な研究開発による、と考えられている。だが、それに勝るともおとらぬ他の枢要な要素が、職場の中堅層の働きで、すぐれた開発・設計でもそれを故障の少ない、高い品質の製品に仕上げ、また周到なサービスとして提供するのは、職場の中堅層なのである(p.ⅰ)、と指摘しています。
その職場の中堅層の働きとは、たんに決められた仕事をこなすだけではない。それだけならば、とても日本企業のめざましい実績をあげることはむつかしい。職場で仕事の範囲をこえ企業の中核の事柄にも、それなりに発言している(p.ⅰ)としつつ、品質への職場の貢献は、職場の発言を認めなければ、なかなか成就しない。その発言は個人もさることながら、組織を背景にしていることが力となろう。すなわち労働組合である(p.ⅱ)と主張を展開します。


職場の労働者が自分の雇用、賃金に発言するのは当然で、どこの国でもいつの時代にもみられる。ここでとくに注目するのは、発言がその品質におよび、さらにそれが企業の新製品の設計、その生産ラインの設計にもさかのぼる。三次産業でもことは同様で、企業の仕事のシステム、その形成、発展への発言という点では、製造業と変わることはなく、自分が働く職場の範囲をこえた、企業活動の核心への発言(p.2)にまで及ぶことを、日本企業の労使関係の特徴としてあげています。


小池(2012)は、職場の発言は、職場からの創意工夫の発露であり、労働者一人一人の「具体的個別的な知識」を生かすことが必要で、それは組織上部からの指令では無理で、その人が発想して自分の考えで技術、技能を高めていく「自由」こそ枢要だ(p.5)、と指摘します。
また、職場での発言のためには、品質、技能への発言の母体は、労働者の組織である。組織なくしては効果的な発言はむつかしい。そして、もっとも働きのある組織は労働組合である(p.9)、と指摘しています。
小池が高品質日本の起源だとする「職場からの発言」は、筆者が「個別労使交渉・協議力(発言力)」と呼んでいるものと共通するものです。そして、筆者の博論調査の結論(日本評論社から11月出版予定)は、個別的労使関係での分権的組合活動(目標管理・人事考課制度の各面談と職場懇談会などによる「発言する職場」)が、労働成果、エンゲージメント、組織コミットメント、心理的資本度、キャリア自律度、WLB満足度、二重帰属満足度をもたらす、ことを明らかにしています。


個別労使交渉・協議力(発言力)が企業間競争力の源泉になっていることの第2の根拠は、ロバート・ケリー(1993)のフォロワーシップ論からです。
また、労働組合が、ロバート・ケリー(1993)のフォロワーシップ論に注目すべきなのは、リーダーとフォロワーに関して、次の3つの驚くべき事実(p.1)がある、としているからです。


・ほとんどの組織において、その成功に対するリーダーの平均貢献度は20パーセントにすぎない
・フォロワーは、残り80パーセントのカギを握っている
・ほとんどの人は、その肩書やサラリーとは無関係に、リーダーとしてよりフォロワーとして長く働く。つまり、報告させる部下を持つ立場よりも、自分が報告する立場が長いわけである。


そしてさらに、90年代がフォロワーの時代になる理由として、「オフィスや工場において、チーム、コラボレーション(共同研究)、オーナーシステム(従業員に自主的に企画・生産・販売などをまかせる企業の労働管理システム)、下からの自主管理運動などがますます盛んになってきている」(p.2)、ことをあげています。
そればかりか、「早くも90年代が教えてくれること...それは、私たちのほとんどがリーダーでありフォロワーであるということだろう。リーダーとフォロワーの役割に、もはや以前のようなはっきりとした境界線はない。私たちは、自分自身に課せられたリーダー、フォロワー、両方の役割を認識しなければならないのだ」(p.3)としており、企業組織におけるフォロワー(組合員・労働者側)の言動の重要性について指摘しています。


他方、ロバート・ケリー(1993)は、現代のほとんどの事業団体が、リーダーシップに注目し、リーダーシップこそが教育やビジネスの答えであり目標であるとはやしたてる(p.8)ことになったのは、「1841年、イギリスの哲学者トマス・カーライルは『歴史における英雄と英雄崇拝』を出版した。その本の中で彼は、歴史と変化の原動力という観点から、「偉大なる人物」論を展開した」(p.7)からだと述べています。
しかし、2500年におよぶ研究、1万冊ものリーダーシップ研究関係の書物、後を絶たないベストセラーにもかかわらず、私たちはいまだにリーダーを生み出す術を知らない。どんなリーダーシップモデルも、どのような人が有能なリーダーに向いているかを確実に予測することなど不可能だし、どんなビジネススクールにもリーダー養成率100パーセントのプログラムなどない(p.13)、とも述べています。
さらに、リーダーに対して、ポジティブな面しか認めず、完璧さを期待することで、私たちはリーダーを、そして自分たち自身を苦しめている(pp.14-15)、とも指摘しています。リーダーシップは私たちを導く、といっても限界がある(p.17)、というのです。
いくつかの研究、調査によって、企業の業績に対するリーダーシップの貢献度が調べられた。その結果は、「組織の成功に対するリーダーの貢献度は10から20パーセントにすぎない」のだ。残りの80から90パーセントにあたるフォロワーシップこそが、大成功を支える真の人的要因なのだ(p.17)ともいうのです。


筆者は、ロバート・ケリー(1993)のフォロワーシップ論が、組織が「ぐらついているとすれば、それはリーダーシップのつまずきというよりもフォロワーシップのつまずきが原因ではないだろうか」(p.26)と指摘する点に、労働組合側の責任と役割が見いだせるし、それは、個別労使交渉・協議力(発言力)の発揮力の問題である、ととらえるべきだと考えています。


参考文献
石田光男・上田眞志編(2022)『パナソニックのグローバル経営―仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房
小池和男(2012)『高品質日本の起源―発言する職場はこうして生まれた』日本経済新聞社
ロバート・ケリー(1993)『指導力革命』プレジデント社

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