2019.03.03
日本のダイバーシティ・マネジメントは、どう変わったか

弊社も創立30周年ということで、30年前の女性の活躍について、振り返りたいと思います。

30年前というと1989年であり、男女雇用機会均等法(86年施行)の直後です。私が社会人になったのは92年であり、多少誤差はあるものの、組織における女性に対する考え方はそんなに大きく違わないと思います。労働省(当時)の調査によれば、男女雇用機会均等法以降、一部上場1054社の大卒採用では「男女不問」が7割を超えたそうです。
ここだけ見れば門戸は広く感じますし、就活全体の雰囲気も女性に対して積極的でした。
「どこかの企業には受かるだろう」当時、まだ女性差別などを知らなかった九州在住の私は、楽観的に構えていました。まずは、地元の一部上場企業に採用に関する電話をかけました。
すると採用担当の方から「弊社では、総合職の女性採用は行っておりません」と言われたのです。強烈なカウンターパンチを食らいました。

気を取り直して就職雑誌をひも解き、女性総合職の採用数字を見ていきます。男女不問が7割とはいえ、一社当たりの女性総合職の数は極めて少なく、勤務地も本社に限るところがほとんどです。また女子寮等がないところが多かったので、九州にいる私が現実的に狙える企業は、両手で数えたら指が余るくらいでした。ちなみに今なら中小企業の情報もネットでとれますが、当時は紙が主体なので難しかったのです。運よく縁があった会社は事業部全体で総合職の新入社員117人、うち女性総合職は7人という少なさでした。

それでも入社時研修を終え、私は働くことに期待をしていました。しかし、配属後すぐに、違和感を感じます。営業として採用されましたが、同職種の先輩たち(男性のみ)は、誰も私をOJTに連れて行ってくれません。その代わり、郵便当番やお茶当番はしっかり回ってきました(男性の同期には回ってきません)。そして現場に行けば、先方に「女とは名刺交換しない」と言われ、さんざんな目に遭いました。会議や研修など、男性なら参加が当たり前のものにも、女性である自分は呼ばれるのだろうかと、いつもビクビクしていました。
「女性総合職というのは表面上の話。実際の現場は差別だらけだ」と思っていました。
それが「アンコンシャス・バイアス」と呼ばれるものだと気が付いたのは、つい最近のことです。

それでも持ち前の負けず嫌いで食いついていったところ、徐々に仕事は増えていきました。深夜残業は当たり前。昼食も10分で済ませ仕事。当時、男性社員と変わらない早さで食事をする私は、社食でも有名だったそうです。サービスマンが間に合わない現場では、自分で電気ドリルなどを持ち込み、作業をしていました。休日は上司と一緒にハンダコテで部品の製作(営業でそこまでする人はいません)。私は「女性だから」と言われないように必死でした。

「ダイバーシティのマネジメントパラダイム」(『ダイバーシティ・マネジメント』谷口真美、2005)の抵抗→同化→尊重→分離→統合の段階の中で、当時の私の状況は第2段階の「同化」に当たります。仕組み(男性の働き方)を変えずに違い(女性)を受け入れるという段階です。
つまり、女性が認められるためには、男性並み、またはそれ以上にやって、やっと同じスタートラインに立てるのです。お子さんがいらっしゃる方には難しいでしょう。現に、当時の女性は結婚や出産で退職するのが当り前でした。

それから30年近く経ち、年号も昭和から平成になり、また変わろうとしているのに、まだ日本は「女性活躍」が課題です。表立った差別はないにしろ、アンコンシャス・バイアスはしっかり健在で、育児は女性の担当、営業や管理職は男性の役回りで、女性はサポート的立場に余儀なくされている組織も散見します。
とはいえ、牛の歩みながら確実に前進はしています。当社の営業の6割は女性です。彼女たちは男性と変わらずに教育や機会が与えられているため、女性差別が実感としてないようです。ありがたいことに出先で差別的な扱いをされることもありません。子供がいても営業を続けますし、営業の合間のランチも息抜きできているでしょう。昔の話をすると「へえ」という顔をされます。
ダイバーシティの実現に関しては、まだ道半ばですが、ふりかえるとしっかりとした道筋はできています。
時代は確実に進んでいます。進みが遅いことにネガティブになりすぎず、未来志向でやっていきたいと思います。

中岡 祐子j.union株式会社 管理本部

あ~、ハワイに行きたい!

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