2020.05.10
【組合活動】「新しい活動様式」を導く軌跡と道標

ウォルター・リップマン(1889-1974)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて人びとの生活様式が大きく変わっていく様子について「自分自身を変化させる方法を理解するよりももっと速く、わたしたちは自らの環境を変化させたのだ」と語っていた。それから約100年後、グローバリズムの鬼子とでも言うべきコロナ禍の下で示された「新しい生活様式」。その提言は、「新しさ」以上に急激な環境変化への適応が人間にとっていかに困難かを示しているかのようだ。

世界中を混乱に陥れているように見える"COVID-19"ではあるのだが、よく見てみると世界各国の政府対応や日本国内の自治体対応、そして各企業の対応には当然ながらバリエーションがある。困難さの中で急激な環境変化を前に適応しようとするそれぞれのあり方には、これからの道標だけではなく、これまでの軌跡も垣間見えるような気がする。そのことで「さすが」と希望を感じることもあれば、その一方で「やっぱり」と絶望を感じることもある。

コロナ禍とは全く関係がないのだが、その「さすが」と「やっぱり」の「からくり」をイタリアの地方政治を舞台に解き明かした政治学者にロバート・パットナム(1940-)がいる。イタリアは1970 年に大きな地方自治制度改革があったのだが、パットナムはこれを社会実験と見なすことにより、約20年に及ぶ地方政治の比較研究を行った。つまり、どの州にも共通する「地方自治制度改革」という環境変化に対して、それぞれの州政府・州議会がどのように環境適応したのかを分析したのだ。その分析結果は、イタリアの南北間格差をなぞるものであった。つまり、エミリア・ロマーニャ州など北部では行政実績も住民の満足度も共に高く、反対にプーリア州など南部では行政実績も住民の満足度も共に低かったのだ。

ここまではイタリアの地方政治における北部の「さすが」と南部の「やっぱり」である。パットナムが秀逸だったのは、むしろその「からくり」の解き方にある。パットナムは『哲学する民主主義』(Making Democracy Work)において、地方行政上の格差の要因を経済発展には求めず、社会関係資本(social capital)に求めたのだ。つまり、住民同士がゆるやかにつながっていて(ネットワーク)、お互いに信頼し合い(信頼)、何かあったときはお互いさまの精神で助け合う(互酬性の規範)ことができると、仮に地域社会に厳しい困難が襲いかかった場合でも、第三者の強制ではなく自発的な協力で課題を解決し、その結果として政治と経済が高いパフォーマンスを発揮することを明らかにした。

個人的に印象に残っているのは、社会関係資本が高い地方ほど予算執行がスムーズで、他州に先んじた行政サービスを実施する点である。逆に言うと、国家から同じ予算を配分されていても、社会関係資本が低い地方では、予算をスムーズに執行できず、行政は住民に必要なサービスを届けることができなかったり、新しいアイデアを実行に移すことができないのである。住民同士がゆるやかにつながっていて、お互いに信頼し合い、何かあったときはお互いさまの精神で助け合うことができるかどうかが、予算の有無以上に予算の執行や新しいアイデアの実現に高い影響を与えるのだ。

こうしたパットナムの社会関係資本をめぐる主張は、現在では政治学にとどまらず企業経営や職場マネジメントでも注目されるようになって久しい。「コロナ禍」という環境変化を前に適応を模索するこれからの企業と労働組合の道標が、少なからずこれまでの軌跡に影響を受けるのだとしたら、そのひとつとして社会関係資本はどのような働きをするのだろうか。その検証は未来に委ねられるが、おそらくネガティブな作用以上にポジティブな作用の方が大きいだろう。その内実が人々の信頼・互酬性の規範・ネットワークである以上、企業内の社会関係資本の蓄積に対して労働組合の果たしてきた役割は小さくはないだろう。

「やっぱり」となるか「さすが」となるか。労働組合もこれまでに蓄積した社会関係資本から新しい挑戦を試される局面なのかもしれない。そんな中でいくつかの組合活動の新しいチャレンジに現在進行形で伴走している。組合員同士がゆるやかにつながっていて、お互いに信頼し合い、何かあったときはお互いさまの精神で助け合う、そんな社会関係資本を蓄積した労働組合による「新しい活動様式」はたぶんもう始まっているのだ。

綱島 廣太郎j.union株式会社 名古屋支店

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