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2022.05.01
企業の存続発展はなんのため?

垣根涼介の小説に『君たちに明日はない』という作品がある。
「リストラ請負会社」という、労働組合役員からすれば眉をひそめるような会社に勤める男が主人公で、「クビ切り」の面談という、ある種究極状態の人間模様をのぞき込むことができる濃密な作品だ。

少々ネタバレになってしまうのだが、最終巻ではこのリストラ請負会社自体を「清算する」という場面がある。創業社長が「これからの事業発展は見込めない」と早々に見切り、資金が潤沢なうちに「退職金」として十分な額を従業員で分割し、各々が余裕を持って次のキャリアに乗り換えられるよう取り計らうのだ。

私はこの最終巻を読んで、目から鱗(うろこ)の落ちる思いがした。そもそも会社というのは、あくまで目的を実現するための効率的な手段の一つに過ぎない。事業の目指す目的自体が消失してしまったり、事業が採用した手段が効果的でなかったりすれば簡単に解散してしまうし、解散してしまってもよいものなのだ、というある種当たり前の現実に気付かされたのである。それまではなんとなく、企業というものは存続することそのものが目的のような感覚があり、倒産という結果になるまではしゃかりきに頑張り続けるものだと思っていたので、この小説の読後感はなおさら新鮮だった。

会社が存続を諦めることを盲目的に「悪」だと決めつけていた私の脳内に、「むしろ事業の早期撤退は、貴重な人生の時間を不毛な事業に費やすことなく、より有意義に使えるチャンスを与えることになるのだ」というパラダイムシフトが起こったことを感じた。従業員の心身の豊かさを損ねる形でしか事業を存続できないのであれば、その事業に存続価値はない。

◆働くことの価値をどこに見出すのか

ダイセル労働組合のビジョン(※)で繰り返し訴求される「自分らしさ」というキーワードは、まさにこのような問題意識が根底にあって掲げられているのではないか。藤田委員長のインタビューに立ち合い、そのような印象を抱いた。

たとえ事業収益が健全で、表面上は安定した給与が保証されていたとしても、その事業存続に一人ひとりが身を投ずるプロセスの中で「自分らしさ」が発揮されている、と感じられていないのであれば、真に幸福な状態とは言えないのではないか。

ダイセル労働組合のビジョンは、そのような問いを組合員に投げかけている。もちろん「自分らしさ」というのは自ら発見するしかない。

組合としてもビジョン達成のための基盤活動として、その発見を手助けする「自律学習」と「相互交流」、そして発見した後に、実際に各々が自分らしさを発揮できるような職場にするための「労使ミーティング」へと、連続した展開が設計されていた。

◆個性なき協調性に存在価値はあるのか

現代は多様性の時代といわれる。個性を尊重されてこそ、生きがいややりがいを味わえるのだと。一方で、それは個性や多様性ではなく「自分勝手」に過ぎない、と内心苦々しく思う組織人もいる。彼(彼女)にとっては組織として一つの目的に向かって進むためには協調性やチームワークが重要で、個人の都合を持ち出してくるのは「阻害要因」にしかならないのだ。

しかし、はたして「個性・多様性の尊重」と「協調性・チームワーク」は二項対立の関係なのだろうか。「協調性・チームワーク」が阻害されない程度に「個性・多様性の尊重」は手控えるべきなのだろうか。

ダイセル労働組合のビジョンと基盤活動は、そのような二項対立の世界観に決然とNoを突きつける。むしろ従業員一人ひとりが自律心を持ってこそ、会社をより良くするための有益なアイデアや対話が生まれ、その積み重ねが労使対話での提言の質を高める。

その結果として、労使の対等性と企業の健全な存続が叶うのだ。裏を返せば、個性が埋没し、波風の立たない同調性の強い集団のまま「職場の問題」を話し合っても、経営陣や管理職が腰を上げるような有効なアイデアが生まれることはない、ということだ。

働く人々の「自分らしさの発揮」を支援する組合運動は今後も増えていくだろう。
そのことは「集団的労使関係」の力学にも自ずと影響を与えることになる。それは、今後も雇われ続けることを前提とした「労働条件の向上」ではなく、冒頭の小説のように「この事業は私達が従事するに値するか?」と「エンプロイメンタビリティ(企業が人を雇うに値する魅力・価値)」を直視するものとなるはずだ。

(※)特集:ダイセル労働組合の挑戦~労使協調路線の先へ~

『j.unionジャーナルvol305』こちら

竹内 進j.union株式会社 活動促進本部 西日本事業部

好きだけど自分から最も遠い言葉は「虚心坦懐」です。

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