journal_vol.303
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「個別的労使関係における分権的組合活動」の意義働く人が高めていく価値の射程範囲取り得る戦略③集団的労使関係での集権的組合活動を実現できると思っていた。結果、依存的な組合員の増加を助長した。なぜこれまでの労働組合は領域D(※図参照)の請負代行型活動にこだわってきたのか、ということを考察すると、そこには「集合的取引こそが労使関係だという思い込み」があったと言えると思います。それは「一人で経営と対峙しても、多勢に無勢で要望が通らない」(濱口・海老原2020)、「労働契約は本質的に労働者の側に立つ側が不利になるという特質」(野川2021)といった専門家の認識にも表れています。しかし、労働組合が領域Dにこだわり続けているのをよそに、経営者・人事側は組合員の処遇を決める戦いの場を領域Aの自律・当事者型活動にいち早く移動しました。それは目標管理・人事考課制度の導入、ゾーン別昇給管理の採用という形で現れているのですが、この仕組みですと春闘でうたわれているような「全員に約束できる成果」は制度の構造上存在しないのです。したがって、春闘という手法にこだわるということは、できもしないことを約束し、期待を膨らませた上で、必然的に期待を下回る結果を招きます。当然、組合員の離反を助長するという破滅的な結末は必然であると言えるのです。ここで押さえておかなければならない点は、能力による処遇の差別化を労働者自身が肯定的にも捉えているということです。戦後、GHQが推進した職務給の導入に労働組合自身が反対したように、処遇を個別に決定していくというのは日本の労働者の本質なのです。この点は「(日本の労働組合は)労働力を『集団的』に販売しきれていない。この販売価格における集団性と個別性の併存が現代日本の組織労働者の最も重要な特徴である。」(石田2003)という指摘からも明らかです。労働組合がなし得てきたことはあくまで賃金原資の獲得のみであり、個別の分配は現場に依存してきたということが言えると思います。以上のことより、令和時代の組合は領域Aの取り組みを推進するよりほかないということが導けると考えているわけであります。言い換えるならば、経営参加(職場の民主化)の取り組みということです。まずは上司との面談・コミュニケーションの場で自律性を発揮することを支援し、個人として困難を感じるならば職場の中で自主管理的に職場懇談会を活用して自律性・当事者性を確保できるような活動展開が求められているのではないかと考えています。私は西尾の説が、「社内で通用する価値」の向上支援に集中しているような印象を持っており、その点に危うさを感じています。どうしても最終的には、たまたまあてがわれた上司の能力や上司との相性に依存する結果になる、あるいは企業が買収されて、外国人の経営者になり、労働観、価値観の共有が困難になるケースなどを仮定した場合、リスクの大きい戦略のように感じてしまうのです。そのように労働環境の大前提が崩れるリスクを念頭に置いた時、社内価値の向上に加え、社外でも通用する価値も両にらみで支援していくことが求められるのではないかと思います。ではどのような戦略を労働組合が取ればよいのかといいますと、今までのように単純に「良い会社」をつくろう、とだけ声を上げても、労働条件の水準が長期的に安定して推移していくビジョンが持てない現状において、組合員の貢献を得るのは難しいと思います。そのため、「良い会社になった」という結果を果実とするのではなく、「良い会社にしていくための試行錯誤を体験できた」という過程を果実と定義す6j.nin journa

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