journal_vol.303
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関係と両輪で展開して初めて双方が機能すると考えているということです。「個別的労使関係にフォーカスすると横断的社会性をますます失うのでは?」「国民的課題に対して無関心でいいのか?」という懸念を持たれるのも理解します。政策制度的な要求も必要ですし、そのことの価値を軽んじているわけではありません。ただし、政策制度要求に関しては、果たして本当に労働者一人の必要性をもって代弁しているのか?考えて必要だと言っていやしないか?と冷静に振り返ることも必要だと考え集団的労使関係は今後も不可欠です。ただし、個別的労使組合役員だけが勝手にます。組合員の大半は「日頃生きていくだけで精一杯。国の政策がどうなるかなんて関心を払っている余裕がない」というのが本音です。しかし、制度政策的なフォローや体制環境づくり、セーフティネットがあって初めて日々の暮らしの安定は成り立つと繰り返し伝えていかないと組合員は社会化されていきません。この点において重要なのは、政治に目を向け選挙に行けと組合員にはやし立てることでない、ということです。上司部下関係や家庭など、日常生活の中で自分の意見を自律的かつ民主的に発言するという経験を積む。その経験を積んで初めて、その延長線上に自分が社会とどう関わっていくのか、という視野が広がり、能動性が生まれていくのです。  QAQA8未来は誰にも見通せないので、学術的に論述する場合、未来からブレークダウンして有り得るべき労働組合活動を演繹的に主張することは避けます。それよりも、帰納法的に分権性を追求すると、究極的には組織は不要になるのでは?を逆照射するという視点の違いでどちらが間違っているということではなく両方必要な視点なのではないか。今の若い人が企業を選ぶ選択基準は私達世代とは根本的に異なると考えている。我々労働組合も、同業他社の動向、あるいは経団連加盟の重厚長大な組織ばかりをベンチマークするのではなくLINEやGoogleのような西尾説は過去から現代を見ており、竹内説は未来から現在新興IT企業がどのような人事戦略を掲げ、それが世の中の労働全体にどのような変化をもたらしているのかを観測しながら、この会社に求められている人材、モチベーションの考え方を決めていかなければならない。今まで働いてきた人に「これからはキャリア自律、個人の能力が必要だよ」とだけ言っても過去から今を見る視点そのものを変えてあげないと「そんなの今まで必要なかったじゃないか、組合は何を言っているのか」と受け止められるだけになってしまうのではないか。「今後2、30年先拡大している企業マーケットを見ていくと既存市場はAI化して縮小していく」と視点を変えてあげ、今何が必要かということを組合員に説いていかなければならない。企業が外資に買収され、経営者が外国人になり、マネジメント層にプロパー社員不在なんていう会社は、昔はごく一部の話だったのが、人気上位はそういう企業運営をしている。労働の常識が一部で局所的に変革をしていることに危機感を募らせているが、西尾氏の見解はいかがか。自律支援を検討している点についても危惧を示しておきます。おそらく、このような取り組みを進めると、どうしても個々人の自由と自己責任に依る能力開発になる、言い換えると「資格修得支援的学習」になるのでは、と推測しています。しかし、多くの企業は今も新卒一括採用方式で入社しており、採用時にジョブの遂行能力を求められず、企業から設定される課業についてOJTで職業能力を身に付けるという形を取っているのです。そのため、企業の事業計画と無関係に身に付けた能力に需要があるかは疑問です。また従業員も自己責任でキャリア開発する習慣がありません。したがって、動態的な要素をはらむ課業について、上司との面談を通じて会社が要求する職務・能力と自分のやりたい仕事・能力との折り合いをつけて社内のOJTに求めたり、あるいは場合によって配置転換を交渉する力をつける支援を実施したり、それを支援するような職場の仲間づくりを行ったりすることが有効です。また、日本では管理職の下層(係長や主任)は組合員ですから、上司部下で職場の自主管理運動を展開していくことで、冷酷な新自由主義的経営者が到来しても対抗できる力を職場に持つことができると考えています。j.nin journa参加者からの質問問題提起

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